あのNYの悪夢から、ちょうど1ヶ月。
昨日も書いたが、今や全世界の注目はアフガニスタンとパキスタンである。
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毎日、ワイドショーレベルまでも、
絨毯爆撃のように喧伝されるメディア露出に接しているうち、
かつて学んだ世界史や地理の記憶が
おぼろげながら浮かんできた。
そう、この両国の国境といえば・・・・ガンダーラだ。
パキスタンの北西部から、アフガニスタン東部にかけての地域を指す古い地名。
ヨーロッパへ続く中近東と、中国から続くシルクロードの合流点という歴史の要所。
大乗仏教と仏像という文化の発祥の地だ。
偶像崇拝を拒むイスラム原理タリバンが破壊していたのは、
かつて栄えたガンダーラの仏像そのものであった。
空爆をうけた首都カブールまでがこのガンダーラという地域にはいる。
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そして、あの「西遊記」で美しい夏目雅子ふんする三蔵法師一行が目指したのは、
このガンダーラであった。同番組のエンディングテーマ曲「ガンダーラ」は
私の大好きなカラオケレパートリーのひとつである。
(サザエさんや日立の木とならぶ、幼き日の日曜夜のトラウマソングでもある。)
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そこまでは、魑魅魍魎が跋扈する、果てしない旅路。
あまりに遠い、遙かな世界。
素晴らしいユートピア。永遠の憧れ、夢、幻。
いわば、努力や運ではどうにもならないものの象徴ともいえよう。
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さて、ガンダーラに語感が似た言葉がある。
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70年代のスポ根TVドラマの頂点、巨人の星。
あの、軍歌ばりの、暑苦しい詞のオープニング曲の歌い出しにかぶる、
飛雄馬がグランド整備用のローラーを引きずる
あのシーンからの誤聴から生まれた。
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そう、それは、「重い」という形容詞とセットで、「重いコンダーラ」。
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昭和30年代後半から40年代前半生まれの世代には、
重い「コンダーラ」は試練、根性、涙ぐましい努力、汗というものの象徴として受け取れる。
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ところで、私がテーマにしている、「幻の巨大魚」というもの。
幻の巨大魚とは、二つの要素からなると思う。
ひとつは、針にかけても釣り上げられそうもないような「大きさ」。
もうひとつは、非現実なほどに数の「少なさ」。
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日本の淡水の場合、それはコクレンとアオウオの形容として使われる。
どちらも生息率コンマゼロゼロ%というひどい低確率。
ここ10年、釣りの対象として追い求めた結論として初めていえるのだが、
実は、両者にはひと絡げにできない、ニュアンスの違いがある。
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前述の似たもの言葉で例えれば、
アオウオは、いわば、重い「コンダーラ」。
試練と努力で、なんとかなる。だから、私のようなサイトが成り立つわけだ。
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これに対し、
コクレンは、いわば、「ガンダーラ」。
今の国内では、本当に幻であると断言せざるを得ない。永遠の憧れ。
それはあたかも、幻の巨大石仏のように、脳裏にそびえている。
あ、話がディープ過ぎるな・・・。前振りも長すぎたか。
(2001.10.13)
行け行け飛雄馬 歌/アンサンブル・ポッカ 作詞/東京ムービー企画部 作曲/渡辺岳夫 ♪思いこんだら 試練の道を 行くが男の ど根性 真っ赤に燃える 王者のしるし 巨人の星を つかむまで 血の汗流せ 涙をふくな 行け行け飛雄馬 どんと行け ♪腕も折れよと 投げぬく闘志 熱球うなる ど根性 泥にまみれ マウント踏んで 勝利の凱歌を あげるまで 血の汗流せ 涙をふくな 行け行け飛雄馬 どんと行け ♪やるぞどこまでも 命をかけて 父ときたえた ど根性 でっかく生きろ 剛球燃えろ 男の誓いを 果たすまで 血の汗流せ 涙をふくな 行け行け飛雄馬 どんと行け |
ガンダーラ 歌/ゴダイゴ 山上路夫・奈良橋陽子 作詞 タケカワユキヒデ 作曲 ♪そこに行けばどんな夢も かなうと言うよ 誰もみな行きたがるが 遙かな世界 その国の名は「ガンダーラ」 何処かにあるユートピア どうしたら行けるのだろう 教えて欲しい *)In Gandhara, Gandhara They say it was in India Gandhara, Gandhara 愛の国ガンダーラ ♪生きることの苦しみさえ 消えると言うよ 旅立った人はいるが あまりに遠い 自由なそのガンダーラ 素晴らしいユートピア 心の中に生きる 幻なのか? *)繰り返し |