Vol.12  似て非なるもの


あのNYの悪夢から、ちょうど1ヶ月。
昨日も書いたが、今や全世界の注目はアフガニスタンとパキスタンである。

毎日、ワイドショーレベルまでも、
絨毯爆撃のように喧伝されるメディア露出に接しているうち、
かつて学んだ世界史や地理の記憶が
おぼろげながら浮かんできた。
そう、この両国の国境といえば・・・・ガンダーラだ。

パキスタンの北西部から、アフガニスタン東部にかけての地域を指す古い地名。
ヨーロッパへ続く中近東と、中国から続くシルクロードの合流点という歴史の要所。
大乗仏教と仏像という文化の発祥の地だ。

偶像崇拝を拒むイスラム原理タリバンが破壊していたのは、
かつて栄えたガンダーラの仏像そのものであった。
空爆をうけた首都カブールまでがこのガンダーラという地域にはいる。



そして、あの「西遊記」で美しい夏目雅子ふんする三蔵法師一行が目指したのは、
このガンダーラであった。同番組のエンディングテーマ曲「ガンダーラ」は
私の大好きなカラオケレパートリーのひとつである。
(サザエさんや日立の木とならぶ、幼き日の日曜夜のトラウマソングでもある。)

そこまでは、魑魅魍魎が跋扈する、果てしない旅路。
あまりに遠い、遙かな世界。
素晴らしいユートピア。永遠の憧れ、夢、幻。
いわば、努力や運ではどうにもならないものの象徴ともいえよう。



さて、ガンダーラに語感が似た言葉がある。

70年代のスポ根TVドラマの頂点、巨人の星。
あの、軍歌ばりの、暑苦しい詞のオープニング曲の歌い出しにかぶる、
飛雄馬がグランド整備用のローラーを引きずる
あのシーンからの誤聴から生まれた。

そう、それは、「重い」という形容詞とセットで、「重いコンダーラ」

昭和30年代後半から40年代前半生まれの世代には、
重い「コンダーラ」は試練、根性、涙ぐましい努力、汗というものの象徴として受け取れる。



ところで、私がテーマにしている、「幻の巨大魚」というもの。
幻の巨大魚とは、二つの要素からなると思う。
ひとつは、針にかけても釣り上げられそうもないような「大きさ」
もうひとつは、非現実なほどに数の「少なさ」

日本の淡水の場合、それはコクレンとアオウオの形容として使われる。
どちらも生息率コンマゼロゼロ%というひどい低確率。
ここ10年、釣りの対象として追い求めた結論として初めていえるのだが、
実は、両者にはひと絡げにできない、ニュアンスの違いがある。

前述の似たもの言葉で例えれば、
アオウオは、いわば、重い「コンダーラ」
試練と努力で、なんとかなる。だから、私のようなサイトが成り立つわけだ。

これに対し、
コクレンは、いわば、「ガンダーラ」。
今の国内では、本当に幻であると断言せざるを得ない。永遠の憧れ。
それはあたかも、幻の巨大石仏のように、脳裏にそびえている。


あ、話がディープ過ぎるな・・・。前振りも長すぎたか。

(2001.10.13)


行け行け飛雄馬

    歌/アンサンブル・ポッカ 
   作詞/東京ムービー企画部 
  作曲/渡辺岳夫

思いこんだら 試練の道を
  行くが男の ど根性
  真っ赤に燃える 王者のしるし
  巨人の星を つかむまで
  血の汗流せ 涙をふくな
  行け行け飛雄馬 どんと行け


♪腕も折れよと 投げぬく闘志
熱球うなる ど根性
泥にまみれ マウント踏んで
勝利の凱歌を あげるまで
血の汗流せ 涙をふくな
行け行け飛雄馬 どんと行け


♪やるぞどこまでも 命をかけて
父ときたえた ど根性
でっかく生きろ 剛球燃えろ
男の誓いを 果たすまで
血の汗流せ 涙をふくな
行け行け飛雄馬 どんと行け
ガンダーラ

     歌/ゴダイゴ
     山上路夫・奈良橋陽子 作詞
     タケカワユキヒデ 作曲

♪そこに行けばどんな夢も
かなう
と言うよ
誰もみな行きたがるが
遙かな世界
その国の名は「ガンダーラ」
何処かにあるユートピア
どうしたら行けるのだろう
教えて欲しい


*)In Gandhara, Gandhara
They say it was in India
Gandhara, Gandhara
愛の国ガンダーラ


♪生きることの苦しみさえ
消えると言うよ
旅立った人はいるが
あまりに遠い
自由なそのガンダーラ
素晴らしいユートピア
心の中に生きる
幻なのか?


*)繰り返し

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