以下の写真は、小岩FFCメンバーが釣り上げた
155cmオーバーの超大型を中心にピックアップしたものです。
鯉釣りは1mが目標だが、青魚の場合は140cmを越えてようやく大物の部類。150cmを目標としている釣り人が多い。
私のホームグランドである北小岩「柳」は、非常にアタリが遠いものの、乱杭と石積みに守られた深場に超大型が潜むのが特徴で、小岩FFCメンバーだけでも160cmオーバー3本を含む大型を上げており、夢の170オーバーに近づくには、最右翼と思われる。
このクラスとなると、勇姿を見るだけでも幸運な、宝石のようなもの。一匹一匹、そのときの人生メモリーとオーバーラップして脳裏のアルバムに焼き付いている。
*写真をクリックすると大きく見られます。
私がふと書店で手に取った雑誌、フィッシングに出ていた池島さん(写真左)のこの魚は当時26才の私にとってあまりにショックであった。
青魚釣りの歴史においても記念すべき一匹。小岩FFC田中さん(写真右)がカラス貝を使ったのは偶然だったが、以後、特攻薬として定番となり、近代アオウオ釣りの幕開けとなった。
(フィッシング誌に掲載)
小岩FFC元年のこの年、北小岩の柳での爆釣ぶりは一向にとどまらず、ついに松永さん(写真右)に160オーバーが出た。
スポーツニッポンは2日にわたり、カラー全段特集で社会ネタとしてこの魚を取り上げた。このメスと思われる魚体の衝撃的なボリュームはいまでも伝説となっている。(大きさのみならず、古代魚をほうふつとさせる体形、ウロコの厚みなどに老成魚の雰囲気が濃厚。)
この魚が生きていれば165cm超えは確実と思われ、今でも我々の励みとなっている。
(スポーツニッポン、フィッシング誌に掲載)
*中央は池島さん。学生時代にレスリング部で活躍した腕力でこの魚を支えた。
写真を撮影したのは笹本さん。その魚体の凄さにカメラを手にしながらも全身が震えたという。掲載のスポーツ紙はテレビ朝日のやじうまワイドでも取り上げられ、以後、この年の北小岩乱杭周辺は、各地から訪れるアオウオ狙いの釣り人でイシダイ竿の放列となった。
アオウオ黎明期のこの当時、北小岩周辺には、アオ師志願のチャレンジャーが多く押し寄せていた。もちろん、私もワン・オブ・ゼムに過ぎなかった。が、現実の厳しさに多くは夢半ばで挫折していった。
冬も毎週通いつづけ、2月の小春日和にようやく、私の初アオウオを獲る。はじめて味わう強引にとまどい、40分かかって引き寄せ、田中氏(写真中)に取りこみしてもらった140cm。感激の涙で柳が霞む。
世田谷から江戸川に通い始めて約10ケ月。北小岩に約4ケ月め。
この日、ようやく小岩FFC入会を認められた。私のアオ師人生のスタートである。
苦節3年目にして150オーバーを釣る。
新緑を背景に、タモ入れしてくれた西崎さんとまだ20代の私。
このころになると慣れもあり、引きずられるような魚のパワーを全力でうけとめて戦う若き私を笹本氏が連続写真におさめてくれた。
なぜか二人とも裸なのは新緑の5月、夏を思わせる強烈な陽射しのため。誤解は無用。
(「フィッシング」誌に掲載)
3月下旬の大潮、この2ケ月前に結婚した身長158cmの妻を越える大物。一度はカカリに入られるが、腰まで水につかり単独で取りこむ。
「フィッシング」誌編集部の外川さんにかけつけて頂き、尾ビレを広げ計測すると160cmジャスト。2mの布を買い、7人がかりで魚拓を獲り、リリースした。拓寸で165cmをゆうに越えるこの魚拓は我家の和室の壁を占拠している。
*写真左は私、義妹と呑口マスター。写真右の女性が妻。
(廣済堂ムック「大ゴイ倶楽部96」の巻頭グラビアに掲載)
この日も因縁の3月下旬の大潮。もはやこのサイズも単独で取りこむ余裕がもてるようになった。
まだ冬の装いの柳、当日は曇り、気温は15℃。腰まで濡れたジーンズを南風が乾かしてくれた。
(廣済堂ムック「大ゴイ倶楽部97」」に掲載)
この年ごろから江戸川下流でもタニシでの釣りが流行。タニシは数が出るが型が小さいとの定評を覆した一匹。
「フィッシング」誌が確認する日本記録を1cm更新、しかし、なんとこの翌日に埼玉県三郷で竹縄さんが164cmで再更新。幻の日本記録魚となった。現時点で自己そして小岩FFC最大記録。
(大ゴイ倶楽部99春号、週間釣りサンデーに掲載。)
超大物は北小岩だけではありません。各地で大物が釣られています。
江戸川では21世紀初の160台。
久々の明るいニュースとして、不振にあえぐ江戸川の同志をどれほど勇気づけたか。
鯉仕掛に来たこの巨魚を、テトラをかわしながら一時間半かけて寄せた釣り師の腕。国道6号線直下のそのポイントを見れば、どれだけの職人技かがわかるだろう。
アオウオ20本近くの経験をもつベテランのグッド・ジョブ。
最近の釣果写真はこちらをどうぞ。→IXYSHOTバックナンバー
青魚釣り以外にもハマッっているのが、寒ヒラメと石鯛。これも大物釣り。確率はほとんどない、巨人の星の世界、人生の重いコンダーラ。こんな縁がなければ人生はもっと楽だと、ときどき思う。幸か不幸か。その後待つのは茨の道。
平成8年冬、初めてのヒラメ釣りで釣ったのがこの特大ヒラメ。
91センチ、重さは測らなかったが8キロ級は確実。
ビギナーズラックという言葉があるが、幸か不幸か、これが長い道のりの始まりだ。
鹿島港のヒラメは12月1日解禁、冬だけの短い釣り。
以後、生イワシのムーチングという独特の釣趣に取りつかれ、シーズンは毎週通いつめるが、これほどの型にはいまだにめぐりあえない。
小岩FFCの一部では石鯛(クチジロ)ブーム。1999年、笹本さんとクチジロ狙いで屋久島に行き、ピトンを飛ばされ、竿を海中に持っていかれるという恐怖の大アタリに遭遇。それさえなければ・・・・。
これも長く険しい道のりのスタートだ。その後は伊豆、千葉とボーズ街道を歩むが、昨夏、意を決して小笠原母島に単独でチャレンジ。私が釣ったはじめての石鯛がこれ。場所は母島北部の名礁「乾崎」。この日は竿が立てられないままワイヤーを飛ばされ、針をつぶされと二回の大バラシの後にこの魚を獲った。
初めて青魚を釣ったときと同じく、足が震え、ひとり涙がとまらなかった。
ストリンガーに掛けたが、サメにやられてしまい、南洋の幻となった。単独釣行ゆえに写真はこれしかない。
71センチ。ここからスタートしなくてはならない厳しい石鯛人生。